2007年 05月 27日
祭り 2 |
西村武訓(『朝日のあたる家』篇 プロデューサー)
2007年5月初旬、私は地元:伊勢で20年に一度の大祭「神宮式年遷宮:お木曳き」に「常磐仲町 清栄社」の奉曳団員として参加した。
伊勢で一生過ごす人でさえも、数回しか参加する機会がないお祭りである。
私は3月末から毎週日曜毎に帰郷し、祭りの準備をしていた。20年後、参加出来る保障はなく、今しかないと確信していたからだ。
各地域から伊勢神宮のご神木を奉納するこの祭りでは、「木遣り唄」と云う伝統的な唄が披露される。地元の青年達が何年も懸けて練習を重ね、実際の祭りで唄えるのは一生に一度か二度である。幸運にも私は、特例中の特例で一度だけ唄を披露することが出来た。おそらく、一生に一度の体験である。
伝統・格式・保守・権力・金・柵・妬み・喜び・宴が入り混じった祭りの最中、自分という人物を演じながら生きている私に、本来の自分がふと舞い降り、生きている実感が湧いた。
そんな折、過酷なスケジュールの中、最後まで活き活きと撮影に臨んでいた井土監督が、以前、言っていた事を想いだす。
「非日常的な映画の撮影中こそ、私の日常である」
大資本が地方都市に勢力を伸ばしている平成の戦国時代、
私は『ラザロ』の製作・宣伝・配給を、一生に一度の貴重な日常として楽しんでいる。幸せなことだ。
2007年5月初旬、私は地元:伊勢で20年に一度の大祭「神宮式年遷宮:お木曳き」に「常磐仲町 清栄社」の奉曳団員として参加した。
伊勢で一生過ごす人でさえも、数回しか参加する機会がないお祭りである。
私は3月末から毎週日曜毎に帰郷し、祭りの準備をしていた。20年後、参加出来る保障はなく、今しかないと確信していたからだ。
各地域から伊勢神宮のご神木を奉納するこの祭りでは、「木遣り唄」と云う伝統的な唄が披露される。地元の青年達が何年も懸けて練習を重ね、実際の祭りで唄えるのは一生に一度か二度である。幸運にも私は、特例中の特例で一度だけ唄を披露することが出来た。おそらく、一生に一度の体験である。
伝統・格式・保守・権力・金・柵・妬み・喜び・宴が入り混じった祭りの最中、自分という人物を演じながら生きている私に、本来の自分がふと舞い降り、生きている実感が湧いた。
そんな折、過酷なスケジュールの中、最後まで活き活きと撮影に臨んでいた井土監督が、以前、言っていた事を想いだす。
「非日常的な映画の撮影中こそ、私の日常である」
大資本が地方都市に勢力を伸ばしている平成の戦国時代、
私は『ラザロ』の製作・宣伝・配給を、一生に一度の貴重な日常として楽しんでいる。幸せなことだ。
by spiritualmovies
| 2007-05-27 14:58
| エッセイ